百済と新羅の違い

百済と新羅の違い

- 概要 -

百済も新羅も古代朝鮮半島にあった古代国のことである。百済は4世紀半ばに馬韓北部に成立した。新羅はは6世紀に国号を正式に定めている。

- 詳しい解説 -

百済(くだら または ひゃくさい)は、古代の朝鮮半島にあった国家のことで、4世紀半ばから7世紀半ばまで存在していた。半島での位置は、南西部の黄海側である。

一方新羅(しらぎ または しんら)は、同じく古代の朝鮮半島にあった国家で、6世紀初頭から10世紀半ばまで存在していた。半島での位置は南東部の日本海側である。

百済、新羅に加え北部にあった高句麗の3つの国家を合わせて、朝鮮半島における三国時代を築いた国家である。

百済は日本とのかかわりが深く、日本と友好関係を築いていた。そのため、日本の古代文化は百済の影響を大きく受けている。例えば、仏教は日本の欽明天皇のころ(6世紀半ば)に百済の聖王(聖明王)によって使徒が伝来されたとされている。

百済は次第に新羅と対立するようになり、百済ー高句麗、新羅ー唐という構図が半島に出来上がった。7世紀半ば、唐の軍隊が百済に上陸し百済は滅亡している。その後新羅が半島をほぼ統一し、朝鮮半島全体の統一国家として高麗、朝鮮と続く足がかりとなっている。
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