修めると学の違い

修めると学の違い

- 概要 -

学は学問や体系化された知識、学ぶこと自体を意味する言葉であるが、修めるはそういったものを身に付けること、足りないところを直すことを意味している。

- 詳しい解説 -

学は、何かを学ぶこと、勉強することや学問それ自体、体系化された知識などを意味する言葉である。修めるはそういった知識などを身に付けることを意味している。「学問を修める」という言葉があるように「学」は学ぶ対象、「修める」はその行為を表す。

修めるにはほかに、足りないところや欠けているところを直して、改めることも意味している。つまり、自分の身の振り方を立派にするというものである。戦前には小学校の教科のひとつに修身というものがあったが、これはもともとは児童の日頃の行いの心得を教える目的のものであった(第二次大戦中には意味合いが変わってきており、敗戦と同時になくなり、戦後には「道徳」という教科になっている)。

修めるは「おさめる」と読むが同音異義語として治める、収める、納めるがある。治めるは国などを統治すること、収めるは何かを収容すること、しまうことを意味し、納めるは税金などを納入するときに使う。
「新しいと真新しい」「イルミネーションと夜景」「金歯と銀歯」などなど、世の中にははっきりと説明できないよく似た言葉や物事が私たちが思っているよりもかなり多く存在しています。私自身学生時代からそのようなよく似た言葉・物事の違いを意識的に発見しては辞書やネットで調べるということを日常的にしていて、それが一つのライフワークになっていました。ある時期からその趣味?ともいえる調査・分析にどっぷりと浸かりまして、これまでエクセルにまとめた二つの類似した違いをネット上で公開し始め、今では複数の方のお力もお借りして実に多くの類似した言葉・物事をネット上で公開することができています。日本語は実に複雑怪奇・・・!そして面白いなと思います。「私語と雑談の違い」「失礼と非礼の違い」「始末書と反省文の違い」「すなわちとつまりの違い」うむむ・・・、よくわかりませんね。知らなくても別に生活に困るわけではないけど分かっているとちょっと嬉しい二つの違い、お時間のある時に是非1つでも覗いていただければと思います。